2021-04-07 第204回国会 衆議院 外務委員会 第6号
ちなみに、それ以前に、自民党の外交力強化に関する特命委員会というのがございまして、当時、森喜朗委員長、そして事務局長は何と茂木敏充、今の外務大臣であります。そのときに、英仏並み、百五十の大使館をつくる、今後十年、定員二千人純増という目標を設置されました。
ちなみに、それ以前に、自民党の外交力強化に関する特命委員会というのがございまして、当時、森喜朗委員長、そして事務局長は何と茂木敏充、今の外務大臣であります。そのときに、英仏並み、百五十の大使館をつくる、今後十年、定員二千人純増という目標を設置されました。
最近では、森喜朗先生のオリンピック・パラリンピック組織委員会での女性蔑視発言と取られたことが話題になりました。国内のみならず、先進国を始めとして、諸外国において大きな波紋を広げたのも事実でもあります。男女間格差、男性中心の社会のありようが現れたものであり、ジェンダー不平等な日本の実情というのも非難の対象となったというふうに感じております。
東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言について、麻生大臣も、元々オリンピアンとして、オリンピック憲章が汚されたことについて憤っておられるのではなかろうかというふうに推察はいたします。ただ、このことについては今日は答弁を求めませんが。 やはり、あともう一つ、この発言の中で結構影響が大きかったというふうに私が思うのは、わきまえるというような発言。
最後に、森喜朗氏による差別発言に触れないわけにはいきません。 お手元に連合の談話もお配りしましたが、日本は女性差別がある国だと世界に発信してしまいました。トップの交代で済む話ではありません。オリンピック憲章に反するのはもとより、ILO第百十一号条約に反するものであり、日本が中核条約を批准していないことが、あのような発言が出る背景にあると考えています。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長、この辞任問題。本当に、二月三日の、女性がたくさんいる会議は時間がかかる、こういう発言に端を発して、発言の撤回と、そして謝罪はするが辞任はしないという逆切れ会見になってしまいました。残念でした。多くの国民の怒りを買うことになりましたし、そして国外からの強い批判も届くようになりました。
二月三日、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかるという女性蔑視発言を行った東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長に対して、厳しい批判が国の内外から寄せられ、二月十二日、森会長は辞任すると表明しました。四日夜から始まった抗議の署名は、十日までに十四万筆を超えました。 森会長の辞任は当然です。しかし、これで終わりではありません。
日本スポーツレガシーコミッションという一般財団法人、これは去年できたばかりなんですけれども、今回、人のところをよく見ていただきたいんですが、人のところを見ますと、まず、最高顧問が森喜朗さんです。森喜朗さんが、昨年、三百万円の拠出金でもって設立をされたというふうに複数の関係者が証言をしております。
また、本日は、世界中から批判の声が上がる東京オリパラ組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言に対して、有志で、白い服装、胸に白いポケットチーフ、白いバラを身に着け、女性参政権のシンボルである白をまとい、抗議の意味を込めて、本会議に臨んでおります。参議院からも、同調する議員が傍聴席の方におられます。 さて、菅総理、菅内閣が発足して五か月余りが経過しました。
まず、総理、昨日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言について、総理はあってはならない発言だとおっしゃいました。総理、どういう意味で、あってはならないんでしょうか。
最後に、残念なんですが、この間のオリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言や姿勢は、今の、命と健康を最優先するというのとは矛盾をしている。感染症がどうなろうが開催するんだと受け止めざるを得ないような、そんな発言がなされています。 加えて、昨日、とても唖然として、具体的なことは同僚議員に委ねたいと思いますが、女性差別という言葉では足りないような発言がありました。
私自身はそちらに出席をしていなかったわけでありますけれども、先ほど十四時から、森喜朗組織委員会会長が昨日の発言のことについて記者会見をされました。その速報が入りましたので、お話をさせていただきたいと思いますが、森会長が、会見の中では、御自身の発言について撤回をし、謝罪されたということであります。
○橋本国務大臣 森喜朗会長は、長年にわたりましてスポーツ行政に深く関わり、二〇一三年に決定をしました東京オリンピック・パラリンピック大会の招致活動以前から活動されているという長い経験の中で、多くの皆様方に支持され、東京大会組織委員会の会長に就任されたと承知しております。
そして、議員としてご指導いただいた先輩議員の方々、特に森喜朗元総理、一緒に切磋琢磨した同志の議員の皆様方には衷心より深く感謝申し上げます。 振り返れば、昭和五十七年に政治家を志して帰郷して、来年で四十年になります。議員在職二十五年ということは、十五年は浪人していたことになります。初出馬で五百五十一票差で落選して以来、十四回の国政選挙で八勝六敗と当落を繰り返した厳しい政治家人生でした。
三十四歳のとき、恩師、森喜朗先生にお誘いを受け、国政に挑戦することになりました。 当選させていただいた後、その森先生から、国会議員として何か一つ得意分野を身につけなさいと御指導を受け、憲法を読み直し、第四十一条、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」との条文に着目しました。 以来二十五年間。主体的に取り組み、成立させていただいた議員立法は三十二本となりました。
この度の延期に際して森喜朗会長の姿をテレビやインターネットで見た方々から、お疲れの御様子とお痩せになった姿への心配の声が多数届いております。 危機管理は、最悪の事態を想定し、そうならないように対策を用意するのが要諦です。森会長の人脈を生かした御尽力は多とするところでありますが、健康状態は大変厳しいと拝察いたします。立場上、人との接触も多く、新型コロナの感染も心配です。
二月三日、森喜朗元総理などと一時間五十五分。二月四日、銀行の会長さんと一時間五十三分。二月七日、稲田自民党幹事長代行などと二時間五十七分。 まあ、飲みに行くなとまで、私も飲むのは好きなので言いませんけれども、二時間ぐらいにしたらどうなんですかね。何なんですかね。
そして、私は、自分自身三十歳のときに、自由民主党の当時の幹事長であります森喜朗先生から参議院議員に出馬をしないかというお話をいただきました。ちょうど自転車競技でオリンピック・アトランタ大会の出場に向けた大切な時期でありましたから、迷いもありました。しかし、人の役に立てるのであれば挑戦すべきだと思い、決断をいたしました。
これから調整委員会の中でお話をされるんだろうというふうに思っておりますけれども、十五日の日に、組織委員会の森喜朗会長から、暑さ対策も含めて、ドーハで行われた国際陸上競技選手権の結果を踏まえて札幌提案が示されていく可能性が出てきたということの連絡は、十五日にはいただいております。
電子政府の、ある整備を柱とした最初のe—Japan戦略が策定されたのは二〇〇一年一月、森喜朗政権のときですね。安倍政権では二〇一三年と一六年に二度も世界最先端IT国家創造宣言を出しているんですね。ですが、結果は頓挫の歴史と言っても過言ではないと思うんです。
○木戸口英司君 このセレモニーには、森喜朗組織委員会会長、また、日本スポーツ振興センター理事長、渡辺復興大臣、そしてスポーツ庁長官も出ているという会であります。 この日、オリパラの行事がこちらであったということでありますけれども、新聞紙上で話題になったのは同日出席した千葉県柏市での集会、改憲への機運を高めたい自民党本部の要請で開催されたものということが大きく報道されました。
まず、総理、総理も大変親しい、また尊敬する方だと思いますが、森喜朗東京五輪の組織委員会会長が最近、「遺書」、副題が「東京五輪への覚悟」という立派な御本を出されました。総理はこの本お読みになられたでしょうか。もし読んでいるとしたら、どんな感想をお持ちになったでしょうか。
もう一つは、先ほど私が言った二〇〇〇年の、二〇〇一年にかけて森喜朗総理がイルクーツク声明という形で出された問題。これは当時、プーチン大統領も、日ソ共同宣言、一九五六年の共同宣言が基礎になると、こういう言い方で、非常に領土返還問題が解決の道筋に付けるかどうかというところになったわけであります。
役員構成を見ると、先ほどもお話がありましたけれども、会長は森喜朗元総理大臣とか、それから副会長にはこの分野に非常に通暁された遠藤先生、元大臣とか、今いなくなっちゃいましたけれども、こういう方々が入っています。ただ、理事には麻生セメント会長の麻生さんとかこういう人も入っていて、そもそも、素朴な疑問なんですけれども、誰が森喜朗さんが会長だと決めたんですか。
したがって、私も遠藤大臣も聖火台の問題についてはもちろんよく知っておりましたが、今後の進め方において、やはり後からマスコミ等で問題とされないように早目早目に事務的に物事を詰めていくべきではないか、こういう問いかけが真意でありますが、それを森喜朗流に言うとこうなる。 以上であります。